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大阪地方裁判所 昭和40年(ヨ)1349号 判決 1966年1月14日

申請人 山忠幸 外一名

被申請人 秋山澄

主文

被申請人は申請人山忠幸を箕面神経サナトリウムの従業員として取扱い且つ昭和三八年六月一二日以降毎月末日限り金一〇、九五〇円の割合による金員を支払え。

申請人等のその余の申請を棄却する。

申請費用は申請人山忠幸に関して生じた部分は被申請人の負担とし、その余は申請人漆田喜美子の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者双方の求める裁判

申請人等は「被申請人は、申請人等を箕面神経サナトリウムの従業員として取扱い、かつ申請人山忠幸に対し昭和三八年六月一二日以降一ケ月金二一、二九九円の、申請人漆田喜美子に対し昭和四〇年四月二二日以降一ケ月金一八、一五〇円の各割合による金員を毎月末日限り支払え。申請費用は被申請人の負担とする。」との判決を求め、

被申請人は「申請人らの申請を棄却する。申請費用は申請人等の負担とする。」との判決を求めた。

第二、申請人等の申請理由

一、当事者

申請人等は被申請人の経営する大阪府箕面市牧落二六二番地箕面神経サナトリウム(以下箕面の病院と略称する)の従業員で、申請人山忠幸は看護人主任、同漆田喜美子は看護婦として毎月末日限り賃金の支払を受けていたもので、後述解雇の意思表示のあつた日以前三ケ月間の平均賃金を算定すると、申請人山は一ケ月金二一、二九九円、同漆田は一ケ月金一八、一五〇円の各割合となる。ところで申請人等は、右病院の従業員をもつて組織し、総評系の日本医療労働組合協議会(以下医労協と略称する)に加盟する箕面神経サナトリウム労働組合の組合員であり、且つ同組合の執行委員である。

箕面の病院は精神障害者の治療を目的とし、院長は申請外中村五暁で、被申請人はその開設者であるが右病院とは別個に、石川県小松市矢田野町においてこれと同内容の業務を行う粟津神経サナトリウム(以下粟津の病院と略称する)を経営し同病院の病院長を兼ねている。

二、転勤命令と解雇の意思表示

被申請人は、申請人山に対しては昭和三八年五月一四日、粟津の病院に転勤を命じ、同年六月一〇日までに赴任するよう通告し、申請人漆田に対しては同四〇年三月二〇日、同病院に転勤を命じ、四月二一日までに右粟津に赴任するよう通告した。

申請人等が右転勤を拒否したところ、被申請人は、申請人山に対しては昭和三八年六月一一日、同漆田に対しては同四〇年四月二一日それぞれ就業規則第五七条第九号所定の懲戒解雇事由たる「業務命令に不当に反抗し、又は正当な理由なくして拒否したとき」に該当するとして申請人等に対し懲戒解雇の意思表示をなし、以後申請人等を従業員として取扱うことを拒否している。

三、不当労働行為による解雇の無効

しかし、申請人等に対する転勤命令は不当労働行為であるから、命令拒否を理由とする懲戒解雇の意思表示は無効である。以下これを分説すれば、

(一)、箕面神経サナトリウム労働組合の結成

(1)、昭和三七年七月頃、箕面の病院は、看護婦、看護人が合計一四名、患者は同病院の規定ベツト数が一〇〇床のところ一三〇名収容し、看護者の対患者比(対患比率)は一対九で、非常な労働強化を強いられていた。

又看護人等の宿泊施設も無く、階段下の四畳位の部屋に三人起居していたため、階段を昇降する患者の足音で安眠が妨げられ、加えて、午前六時三〇分又は七時から午後一〇時過ぎまでの準夜勤務が看護婦は五日に一回、看護人は六日に一回の割合で、又午後一〇時から翌朝の七時までの深夜勤務が看護婦は一〇日に一回、看護人は六日に一回の割合で割り当てられ、看護者の労働時間は一月平均二五〇から二六〇時間となるのに対しその平均賃金は月一一、〇〇〇円程度という低額であつた。

(2)、このように劣悪な労働条件を改善するため労働組合を結成しようとの機運が箕面の病院の従業員間に高まり、申請人山、申請外川岸喜久枝両名を中心として、従業員総数二五名中一九名をもつて、同年七月二六日箕面神経サナトリウム労働組合(以下組合と略称する)を結成した。

なお箕面の病院とほぼ同時に粟津の病院でも粟津神経サナトリウム労働組合が結成された。

(3)、右組合結成後、申請人山は執行委員長に、同漆田は執行委員に選出され、その後申請人山は昭和三八年一月三〇日組合役員改選で、執行委員となり、現在に至るまで申請人両名共執行委員の地位にある。

(二)、申請人等の組合活動

組合は結成直後、五〇〇〇円の賃上げ、夏期手当を要求して被申請人と団体交渉に入り申請人等は執行委員長又は執行委員として、組合を代表して被申請人と交渉した結果、賃上げ三〇〇〇円、夏期手当を一・二ケ月分支給するという成果を獲得した。

同人等は、その後も就業規則制定問題、年末手当、通路封鎖問題、労働協約等について、組合員の先頭に立つて積極的に活動した。

(三)、被申請人の本件解雇に至るまでの不当労働行為

(1)、被申請人の団交拒否

被申請人は、従前一月に一〇日ないし一五日間箕面の病院に滞留し、従業員と病院運営上のことを相談し、指示を与えたりして来たが、組合結成後は態度を一変し、全然箕面に出て来なくなつた。

昭和三七年一一月組合が労働協約締結に関する団体交渉の申入を行つた際、被申請人は「自分は粟津の病院長であるから組合の代表者は粟津に出て来い。但しその間は欠勤扱いとし、旅費を支払わない」と回答し、事実上団体交渉を拒否する態度を示した。他方箕面の病院の病院長中村五暁は自分には権限が無いとして交渉に応ぜず、結局組合は大阪地方労働委員会にあつ旋を申立て、漸く団体交渉の運びとなつた。

しかし、被申請人は、その後も、粟津でなら会うという態度を変えず、組合の団体交渉権の行使を不当に困難ならしめている。

(2)、被申請人の妻秋山鈴子の組合員に対する干渉

被申請人の妻秋山鈴子は、被申請人に代つて、その意を体して組合員に対し種々干渉を加えた。

(イ)、昭和三七年七月下旬、当時組合の執行委員であつた申請外川岸喜久枝に対し、「病院に何の恨みがあるのか、まさかあんたが組合に入るとは思わなかつた、飼犬に手をかまれた、その動機を言え」と責め、昭和三八年一月初め頃には、「スト等して患者さんに申訳けないと思わないか」「休暇を取つて家に帰り、頭を冷やしてこい」等暗に組合を脱退するよう圧力をかけ、

(ロ)、組合結成当時組合員中島看護婦、同五十嵐炊事婦の家族に対し本人が組合に入つたことを詰り、

(ハ)、粟津の病院から箕面の病院に転任することになつた池本、浜崎両看護婦に「組合に入るのは勝手だが、組合費を払うだけだ、あんたも子供じやないから分るだろう」等と干渉した。

(3)、組合員と非組合員との差別待遇

(イ)、昭和三八年一月、被申請人は当時組合員ばかりが入居していた寄宿舎から病院への直近通路を封鎖し、迂回しないと通院できないようにした。組合はこのことを強く抗議したが現在までそのままである。

(ロ)、昭和三七年末一時金の支給に関しては、非組合員には基準賃金の二ケ月分が支給されたのに、組合員には一・五ケ月分しか支給しない。

(ハ)、昭和三八年四月の定期昇給では非組合員は一、五〇〇円ないし二、〇〇〇円昇給したのに対し、組合員は僅か一〇〇円ないし二〇〇円の昇給という著しい差をつけている。

右のような圧迫により組合員の中から病院を退職する者が続出し、組合員数は、当初の一九名から申請人山の解雇当時では一一名に、現在では四名に激減した。

(四)、申請人等に対する転勤命令の不当労働行為性について

(1)、粟津神経サナトリウムの組合では、結成当時の執行部の中で現在同病院に残つているのは、執行委員長をしている大島重治のみで、他の執行委員は被申請人の圧迫により相次いで退職し、完全に弱体化し被申請人の思うままに動かされている状態である。

(2)、申請人山の転勤と同時に、当時組合の執行副委員長であつた申請外川岸喜久枝も粟津に転勤を命ぜられたのであるが、被申請人が、申請人山及び申請外川岸を粟津に転勤させようとした意図は、箕面の組合で最も中心的な活動メンバーである右両名を箕面から引き離すことによつて、箕面の組合を弱体化させると同時に、同人等の組合活動を不能若しくは困難ならしめるにあることは明白である。

(3)、申請人漆田に対する転勤命令は、被申請人が、申請人山および申請外川岸の解雇により、一一名いた組合員が四名に減少し、組合が団体交渉さえできないほどに弱体化したことに気を強くし、追い打ちを掛け一挙に潰滅せんとしてなしたものである。

(4)、申請人漆田に転勤命令が発せられるまで、病院運営上の理由によつて箕面から粟津に転勤を命ぜられた例は申請人山、申請外川岸、申請人漆田のみであり、他は看護婦養成学校入学を理由とするもの、箕面神経サナトリウムの組合がストライキ決行の際被申請人が急遽粟津から箕面に連れて来たため粟津に帰すもの、及び当初より半年後に帰す約束で箕面の病院に来たため粟津に帰つた等という理由によるものである。

ところが、申請人等に対する本件転勤命令の際、組合ないし申請人等が中村病院長にその理由の説明を求めたのであるが、合理的な解答が得られなかつた。当時箕面の病院は看護人看護婦共に不足していて、加重労働が強いられており、漫然と申請人等に粟津の病院に転勤を命じ得る状況にはなかつたものである。

以上によつて明らかなように、申請人等を粟津の病院に転勤させる合理的理由はなく、被申請人が従来組合に対して執つてきた態度、申請人等の組合活動、申請人等の解雇後の組合の弱体化等の事情からみて、申請人等に対する本件転勤命令は、被申請人が申請人等の組合活動を嫌悪し、組合活動を理由として同人等を差別待遇すると共に、組合組織の破壊を狙つたものであることは明らかで、労働組合法第七条第一号第三号の不当労働行為に該当し無効である。従つて、申請人等は右転勤命令に従う義務なく、業務命令違反を理由として、被申請人がなした申請人等に対する懲戒解雇の意思表示もまた効力がない。

四、本件転勤命令は申請人等の同意がないから無効である。

箕面の病院と粟津の病院とは経営者が同一人であるというだけで、距離的にも遠く離れて居り、病院長も異り、両者は別個独立の企業体である。従つて本件転勤命令は同一企業体の単なる就労場所(労務提供の場所)の指定を変更したのと異り、申請人等を一旦箕面の病院から退職させ、同時に粟津の病院に採用する旨の意思表示であつて、申請人等の同意を要件として成立するものである。従つて申請人等の同意のない本件転勤命令は無効である。

五、解雇権の濫用

箕面神経サナトリウム就業規則は、十分に組合の意見も聴かず、被申請人が一方的に定めたもので、右規則が定められる以前から箕面の病院に勤務していた申請人等に対してこれをそのまま適用することはできないものであるし、右転勤命令の拒否以外に懲戒解雇に価するような事由の存しない申請人等に対して、最も重い懲戒解雇の処分をなすのは解雇権の濫用である。

六、仮処分の必要性

申請人等は、被申請人から支給される賃金のみによつて生活していたものであつて、本件解雇後申請人等は被申請人より箕面神経サナトリウムの従業員として取り扱かわれないため他で臨時雇として働いたり等してその日その日の生活を維持しているのであつて、従業員地位確認の訴を提起すべく準備中であるが、本案判決の確定をまつていては回復し難い損害を被むる惧れがあるから申請の趣旨記載の如き判決を求めるため本件申請に及んだ。

第三、被申請人の答弁ならびに主張

一、申請人の主張に対する認否

(一)、申請の理由第一で主張する当事者に関する事実中申請人等が箕面神経サナトリウムの従業員である点及び毎月末日限り申請人山は一ケ月金二一、二九九円の平均賃金を得ていたとの点は否認し、申請人山が箕面神経サナトリウム労働組合の執行委員である点は不知、その余の主張事実は認める。

申請人等は、被申請人の経営する粟津神経サナトリウム及び箕面神経サナトリウムの従業員であり、申請人等は本件解雇当時箕面の病院に勤務していたものであつて、申請人山の労働基準法上の平均賃金は一日六〇八円の割合である。

(二)、申請の理由第二で主張する転勤命令と解雇の意思表示に関する事実はこれを認める。

(三)、申請の理由第三(一)(1)に主張する事実中、昭和三七年七月頃箕面の病院の規定ベツト数が一〇〇床であつたこと、及び従業員の一ケ月平均労働時間が約二五〇時間前後であつたことを認め、その余を否認する。

昭和三七年七月頃同病院の入院患者数が一日平均一二四―五名で規定の病床数を超過していたことは申請人等の主張どおりであるが、精神病患者を放置しておくことができないという特殊事情から他の精神病院においても入院患者は超満員の状況で、規定ベツト数一〇〇に対し一二四―五名程度の収容は普通で他に被申請人の病院よりも更に超過収容している精神病院もあるというのが実情である。

又、当時同病院における看護人は五名、看護婦は一〇名で看護者の対患者比は約一対八の状況にあつた。対患者比は一対六が望ましいのであるが、右比率を守り切れないのは全国的な看護者の不足、特に有資格者の絶対的不足に起因している悩みであつて同病院としても極力求人依頼に努力しているのであるが充足できない実情にあり、同病院が特に看護者等に労働強化を強いたことはない。

なお、就業時間は労働基準法第四〇条第一項、同施行規則第二七条第一項に規定されているとおりに行われているのであつて、長時間労働といわれる筋合ではない。

(四)、申請の理由三(一)(2)に主張する事実中箕面神経サナトリウム労働組合及び粟津神経サナトリウム労働組合が昭和三七年七月頃それぞれ結成されたことを認めその余は不知。

昭和三七年七月末の箕面の病院の従業員総数は二六名である。

(五)、申請の理由三、(一)、(3)、に主張する事実中申請人山が組合結成当時の執行委員長であつたことを認め、その余は不知。

(六)、申請の理由三、(二)、で主張する申請人等の組合活動に関する事実中組合結成直後五〇〇〇円の賃上げ、夏季手当の要求があり、賃上げ三〇〇〇円夏季手当一・二ケ月分支給で妥結したことを認めその余は不知。

なお、この夏季手当及び賃上げは、粟津、箕面の両組合が一本となつて粟津で団体交渉が行われ決定されたものである。

(七)、申請の理由三、(三)、(1)で主張する団体交渉拒否の事実はこれを否認する。

(イ)、被申請人が院長として管理する粟津の病院は石川県の指定精神病院であるため県当局より病院を長期間留守にすることは厳重に慎しむよう指示されているため、箕面の病院を開設した当初暫くは粟津と箕面の間を往復することが多かつたが、箕面の病院業務が軌道に乗り出すに従つて往復の要も次第に無くなり、なるべく電話連絡で処理するようにしてきた。

しかし箕面の組合結成後においても被申請人は例えば昭和三七年八月、一〇月、一二月等と箕面に来たことも少くない。

(ロ)、昭和三七年一〇月二〇日粟津の組合は、箕面の組合をも代理して被申請人に労働協約並びに就業規則に関する団体交渉を申入れてきたのでその交渉を一一月二〇日粟津で行うよう決定したのであるが、箕面の組合の上部団体と称する大阪地方医療労働組合協議会(医労協)が同一問題につき、同年一一月九日被申請人に団体交渉を申し入れたので被申請人としては、粟津の組合が既に箕面の組合を代理して行動している以上医労協の団体交渉権の範囲につき疑義があるのでこの点に関する疑義を解明するための団体交渉を一一月一六日粟津で開きたい旨提案し、更に一一月一四日被申請人は箕面の組合に対し、箕面の組合を代理する粟津の組合との団体交渉が一一月二〇日に粟津で行われる旨回答したのであつて、被申請人としては箕面の組合との団体交渉を拒否したことは一度たりともない。

(ハ)、箕面の病院の管理者たる院長中村五暁が労働組合法上の使用者として箕面の組合との団体交渉の相手方になり得るので、被申請人も中村院長をして箕面の組合との団体交渉を行なわしめようとしたが、箕面の組合は中村院長が問題の最終決定の権限を有していないという理由で中村院長との団体交渉を拒否し、被申請人との団体交渉を求めてきたため事態が紛糾したのである。このような状況で箕面の組合は昭和三七年一一月一五日箕面の病院を相手として団交拒否を理由に大阪府地方労働委員会へ不当労働行為救済申立をなし、大阪府地方労働委員会会長の和解勧告により結局箕面の組合は中村院長を団体交渉の直接の相手方とすることでこの問題の落着をみた。

(八)、申請の理由三、(三)、(2)で主張するいわゆる被申請人の妻秋山鈴子の組合員に対する干渉に関する事実を否認する。

被申請人が箕面の組合を圧迫したということは一度もなく又、被申請人の妻鈴子が申請人等主張の如き言動をしたこともない。右鈴子は箕面に被申請人の子供が滞在して通学しているため、屡々箕面に出てくることがあり、その際かつて粟津で勤務した顔見知りの看護婦等と雑談することはあつたが、組合員に対する干渉を行つたことはない。

(九)、申請の理由三、(三)、(3)、(イ)ないし(ハ)で主張する組合員と非組合員との差別待遇に関する事実を否認する。

(イ)、昭和三七年秋に寄宿舎が完成した際、寄宿舎と病院との通路ができあがつていなかつたので暫定的に病院の脇道を使用していたが、年末に通路が完成したので右の脇道をドアーで閉鎖し、寄宿舎に起居する全員に完成した通路を使用してもらいたい旨申渡したに過ぎない。

(ロ)、昭和三七年年末一時金は全従業員に対し一ケ月の基準内賃金の平均二ケ月分が支給されたが、その内訳は一・五ケ月分を一律に全員に支給し、〇・五ケ月分は勤続年数、年令、欠勤、遅刻、早退等を考慮して病院査定として支給された。この年末一時金の支給ならびに〇・五ケ月分の査定については労働組合と被申請人間の協定に基づいてなされたのである。

(ハ)、昭和三八年四月の定期昇給は特別の例外を除いて全員五〇〇円以上昇給している。一体、組合員か非組合員かは組合員名簿が病院側に提出されたわけでもないので被申請人にとつて定かでないため仮に差別待遇しようとしてもできる筈がないのである。

(ニ)、昭和三七年七月以降同三八年五月末までの間に退職したものは、女子従業員八名であるが、いづれも個人的な退職理由があつて円満に任意退職したものばかりである。

(十)、申請の理由三、(四)で主張する申請人等に対する転勤命令の不当労働行為性に関する事実中(1)の粟津の組合の結成当時の執行委員のうち現在の執行委員長大島重治のみが粟津の病院に残つていることを認め(3)の組合員数に関する事実は不知その余はすべて否認する。

(十一)、申請の理由三結論部分の本件転勤命令を不当労働行為とする主張四の本件転勤命令が申請人等の同意を欠くから無効なりとの主張五の解雇権の濫用の主張はいづれもこれを争う。

(十二)、申請の理由六の仮処分の必要性に関する主張事実中申請人等が主として賃金をもつて生活の資としていることを認めその余を争う。

二、被申請人の主張

(一)、被申請人と申請人等の関係について

被申請人は、昭和二九年一一月頃より石川県の粟津において精神障害者の治療を目的とする精神科専門の個人病院たる粟津神経サナトリウムを設立し医療法にいう同病院の開設者(経営者)と管理者(院長)を兼ねているものであるが、昭和三五年五月頃右病院の分院たる性質をもつ箕面神経サナトリウムを大阪府箕面市牧落に設立し、同病院の開設者となつた(管理者は中村五暁)。従つて、被申請人は粟津、箕面の両病院の開設者として両病院を経営しているものである。

右の粟津の病院と箕面の病院は経理上も従業員の配置等も全く有機的に一体となつて運営されており、両病院を対比すると、粟津は設立の歴史が古いこと、開設者たる被申請人が常駐していること、箕面における従業員は殆んど全て粟津で採用され、教育されて後箕面勤務となること、粟津は石川県の指定精神病院となつているが箕面はそうでないこと等から粟津の病院が本院、箕面の病院が分院たる位置を占めている。

(二)、申請人等の転勤理由

(1)、昭和三八年五月初旬頃までは、箕面の病院はいわば哺育期、発育期にあつたため、粟津の病院から病院勤務の経験者を箕面の病院に送る傾向にあつた。しかし五月初旬になると箕面の病院も設立後満三年を経て病院の運営も軌道に乗り安定期を迎えることとなつたので両病院を通じて適正な人事の配置をなす必要が生じてきた。

両病院とも退職者の補充や看護要員の拡充を必要としているが、直ちに他から経験者を得ることは困難な情勢であるため看護要員として未経験者を採用し育成して行く方針を採り、殊に看護婦要員には中学卒業のものを看護婦補助者として採用し、看護学院に通学させながら、教育して行くこととし、昭和三八年春粟津の病院で七名の中学卒業者を採用した。そこでこれらの未経験者を実際に指導し得る人、別言すれば看護学院に通学するものは時間的にも種々の制約があるためそこを適当に調整してくれる人が必要となり、両病院を通じてそうしたことに最も適した人を粟津に配置することが必要となつた。

(2)、粟津の病院では、比較的古かつた矢地看護人が昭和三七年一二月に、最も古かつた富永看護人が昭和三八年四月末それぞれ退職したので看護人数は四名となつたが、更に内一名は休職、同年六月二〇日退職し、残りの三名は経験一年以内という者ばかりであつたため、両病院を通じて古参格の経験年数六年という申請人山に粟津の病院に勤務して経験の浅い人を指導し且つ看護人の体制を盛立てさせる必要が生じたのである。

他方箕面の病院には申請人山より新しいが粟津の病院の看護人に比すれば経験の多い人々がいるため(因みに当時箕面には申請人山を入れて五名の看護人がいた)箕面の病院の看護人の体制はなんとか維持できるという事情もあり、申請人山を本院たる粟津の病院の看護長(発令は看護長心得、三ケ月後に昇格)に迎えることが最も適当とされたのである。

(3)、申請人漆田は昭和三四年三月二二日より看護婦として勤務し経験年数約六年で両病院の看護婦中では古く、同人とほぼ同じ経験年数を持つ者は箕面の病院に勤務する看護婦松岡とし子のみである。

他方粟津の病院では婦長の内藤泰子が出産のため昭和四〇年六月一杯で退職する予定で、また婦長代理格で経験年数約七年の北村マリ子が結婚のため同年三月二〇日退職したので粟津の病院には婦長となつて他の看護婦、殊に看護学院に通学している看護補助者に実際の指導を行うものがいなくなつた。そこで被申請人は両病院の有資格看護婦の配置、他の看護婦の指導者としての適否等を考慮した結果、箕面の病院における看護婦主任である申請人漆田を本院たる粟津の病院の婦長に、同人の後任に松岡とし子を配置することがもつとも適当であると判断して本件転勤命令を発令したのである。

(4)、箕面の病院の従業員は前述のとおり殆んど全員粟津で採用され、粟津の病院に勤務の後箕面勤務となつたものであるが、箕面勤務となつた後、再び粟津勤務となつたものも数多くいる。

即ち小町知恵、蔵腰登志子、広瀬冨美子、古矢美代子、島津恵子、大丸谷和夫などがその例である。

これらは被申請人がその時々の病院の業務の実情、人員配置の適正等を考慮して随時行なつているのであつて就業規則第三二条一項にも「業務の都合により必要がある場合は、従業員に転勤を命ずることがある。」と規定されているところである。

(三)、申請人等に対する解雇の理由

(1)、申請人山に対する解雇の理由

被申請人は申請人山の転勤については勤務地手当のなくなることを考慮して現行賃金を上廻るよう配慮する等申請人山にとつてできる限り有利に取扱うことを考えていたし、箕面の病院では院長を通じ或は、組合と団体交渉を持つて申請人山を説得したが、同人が転勤を拒否するので病院人事の秩序維持上放置できず、六月四日中村病院長名の業務命令をもつて同月一〇日までに赴任するよう促し、更に、一一日にも口頭で最後の説得をなしたが拒否されたので、業務命令に従わなかつたものとして同月一二日申請人山を懲戒解雇に付したのである。

(2)、申請人漆田に対する解雇理由

被申請人は昭和四〇年三月二〇日申請人に対し粟津の病院へ転勤を命じ七日以内に赴任するよう指示したのであるが、同日付で同時に発令された箕面勤務の看護人河上忠雄が粟津に赴任したのにかかわらず申請人独りこれを拒否し、箕面の中村院長等の説得に対しても何等具体的理由を示さず漫然これに従わないので四月一四日業務命令をもつて同月二一日までに赴任するよう指示し二一日にも口頭で最後の説得を行なつたが拒否したので業務命令違反として同日懲戒解雇した。

以上述べたとおり、申請人等に対する本件転勤命令は業務の必要上止むをえない理由に基きなされたもので申請人等が主張するような不当労働行為とは何等関係がない。右のとおり、業務上の必要に基く本件転勤命令を故なく拒否する申請人等の行為は病院の秩序を著しく乱すもので懲戒解雇処分に値するから、申請人等に対する被申請人の懲戒解雇の意思表示は有効である。

第四、疏明<省略>

理由

第一、当事者間に争いのない事実

被申請人が大阪府箕面市牧落二六二番地所在箕面神経サナトリウムの開設者で、同病院は精神障害者の治療を目的とし、申請外中村五暁を病院長とすること、被申請人は右病院のほか、これと同内容の業務を行う石川県小松市矢田野町粟津神経サナトリウムを併せ経営し同病院の病院長を兼ねていること、被申請人が申請人山に対し昭和三八年五月一四日石川県粟津神経サナトリウムに転勤を命じ、更に六月四日同人に対し同月一〇日までに粟津に赴任するよう指示したが、同人がこれを拒否したゝめ、被申請人が同月一一日申請人山に対し就業規則第五七条第九号所定の懲戒解雇事由たる「業務命令に不当に反抗し、又は正当の理由なく拒否したとき」に該当するとし懲戒解雇する旨の意思表示をなし同日以降申請人山を従業員として取扱つていないこと、被申請人が同四〇年三月二〇日申請人漆田に対し粟津神経サナトリウムに転勤を命じ、同年四月一四日同人に対し同月二一日までに粟津に赴任するように指示したが、同人がこれを拒否したゝめ被申請人が同月二一日前記就業規則第五七条第九号所定の懲戒解雇事由に該当するとして懲戒解雇する旨の意思表示をなし、同日以降申請人漆田を従業員として取扱つていないことは当事者間に争いがない。

第二、申請人の不当労働行為の主張についての判断

一、当事者間に争ない事実

昭和三七年七月頃箕面の病院の規定ベット数が一〇〇床であつたこと、同病院における従業員の平均労働時間数が二五〇時間前後であつたこと、昭和三七年七月頃粟津と箕面の両病院にそれぞれ労働組合が結成され、申請人山が箕面神経サナトリウム労働組合結成当時の執行委員長であつたこと、組合結成直後五〇〇〇円の賃上げ、夏期手当の要求をなし、賃上げ三〇〇〇円、夏期手当一・二ケ月分支給で妥結したこと、は当事者間に争いがない。

二、組合結成と申請人等の組合活動について

成立について争いのない甲第六号証の一ないし五、同号証の七ないし九、同第七号証の一ないし五、弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認める甲第六号証の六、証人内俊男、同勘田新次、同漆田喜美子、同門前一也の各証言申請人山忠幸本人尋問の結果を綜合すれば次の事実が疏明される。

(一)、昭和三七年七月頃申請外内俊男、同勘田新次、同川岸喜久江、申請人山忠幸が中心となつて従業員総数二五名ないし二六名中組合員数一九名をもつて同年七月二六日箕面神経サナトリウム労働組合が結成された。

(二)、申請人山は組合結成直後の昭和三七年七月より同三八年一月までの間執行委員長として同年七月には賃金の一律五、〇〇〇円値上、夏期一時金の要求、同年一一月労働協約締結申入れ及びこれに対する被申請人の団交拒否問題の解決、時間短縮、人員強化の要求、同年一二月の年末一時金の要求等の交渉に当たり、また病院より寄宿舎に至る最近距離の通路を病院側が封鎖したことに対し、抗議する等勘田、内、川岸と共に組合員の先頭に立つて積極的に活動し、又昭和三八年一月末より本件解雇に至るまでの間執行委員として地区の他の労働組合及び総評医療協との連絡等渉外関係を担当していた。

(三)、申請人漆田は申請人山や申請外内、勘田、川岸等と共に組合の結成に参加し、前記一連の組合活動に協力した。

三、被申請人の組合に対する態度

成立に争いない甲第六号証の一、三ないし五、同第七号証の五乙第二号証弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認める甲第六号証の六証人内俊男、同勘田新次、同漆田喜美子、同西田勲(一回)、同中村五暁、申請人山忠幸及び被申請人各本人尋問の結果を綜合すれば次の事実が疏明される。

(一)、箕面神経サナトリウムの病院長中村五暁は被申請人に雇傭されて、病院の管理に関する事項を任されているに過ぎず経理、人事等について相談に与かるが決定権を有しない。

被申請人は昭和三七年一一月頃組合が労働協約の締結を求めて団体交渉を申入れたのに対し、自分は粟津の病院長であつて粟津を離れることができないから、組合の代表が粟津に来るのなら団体交渉に応じるが代表者はその間欠勤として取扱い旅費は支払わない旨回答した。

他方組合は中村院長とは一〇数回にわたり団体交渉を持つたが同人は最終決定権がないから被申請人と相談して回答する旨返答するのみで実質的な団体交渉は行われず組合側が一方的に要求し同院長は聞いているのみであつた。

そこで組合は被申請人の右の如き態度は実質的に団体交渉を拒否するものであるとして大阪府地方労働委員会に不当労働行為救済の申立をなした結果昭和三八年五月二九日同委員会において、「箕面神経サナトリウムは病院長が組合との団交の内容について最終決定権あることを確認し、今後上記権限のないことを理由に組合との団体交渉を拒否しない」等の和解が成立した。しかし中村院長は人事、経理等については本来被申請人に相談しなければ決定できない立場にあるためその後も依然として団体交渉は前と同じ状態が続いた。そして被申請人はその後も粟津で団体交渉するという態度を変えず、例外的に昭和三七年七月の賃上げ夏期一時金要求同年一二月末の年末一時金の場合のように逼迫した状態の時のみ箕面に来て団体交渉に臨んだ。

(二)、被申請人の妻秋山鈴子は昭和三七年七月下旬頃病院の事務所で当時組合の執行委員であつた申請外川岸喜久枝に対し、同人が組合に入つたことをとらえて、裏切つたと責め、その頃組合の役員であつた勘田新次に対し「いい年をして何しているんだ。あんなことしているのは若い者ばかりではないか」と詰り、粟津から箕面へ転勤して来た池本、浜崎両看護婦に対し、転勤前「向うへ行つても組合へ入らないでくれ。組合へ入るだけ損だ」と干渉し昭和三八年の申請人山、申請外川岸の転勤、解雇反対闘争の際、腕章をしていた川端純代にその姿を写真に撮つて家へ送つてあげようかと皮肉つた。

(三)、もつとも申請人等の主張中寄宿舎への通路封鎖問題、昭和三七年の年末一時金の支給、同三八年四月の定期昇給等について被申請人のとつた措置が組合員に対する差別待遇であるとの点は疏明が十分でない。すなわち、寄宿舎から病院への短距離の通路を昭和三八年一月一日午前零時に閉鎖したことは被申請人も争わないところであるが、証人西田勲(第一回)、同福村信子の各証言ならびに被申請人本人尋問の結果によれば女のゆつくりした足で三分くらいで充分に歩いて行ける道路が出来ていること、寄宿舎にはその後組合員でない人も宿泊しており、当初より組合員、非組合員を問わず宿泊することゝして建築されたものであることが疏明せられるから、病院から寄宿舎への最短通路を閉鎖したことの当否は別として、この一事をもつて組合員を非組合員と差別したものとは言い難い。昭和三七年の年末一時金の支給額が賃金の二ケ月分で、内一・五ケ月分については一律に支給され、〇・五ケ月分については病院側の査定で決定されたことについては当事者間に争いがなく、〇・五ケ月分については、成立について争いのない乙第八号証の一ないし三、被申請人本人尋問の結果によつて真正に成立したと認める乙第七号証、証人西田勲(第一回)の証言ならびに被申請人本人尋問の結果を綜合すれば、組合と被申請人間の協定によつて〇・五ケ月分の査定の内訳が定められこれに則つて支給額を決定されたこと当時組合は被申請人の制定した就業規則の労働時間に関する規定に反対して旧慣行どおり勤務していたので結果的に組合員の支給額は非組合員に比し右の限度で少額となつたが、組合と被申請人間の協定に基いて査定されている以上差別処遇をしたといえない。

昭和三八年四月の定期昇給について差別待遇した旨の申請人等の主張はこれにそう証人漆田喜美子の証言は被申請人本人尋問の結果に照して措信し難く他に右事実を認めるに足る疏明はない。

四、申請人等の転勤命令時の事情について

成立について争いのない甲第二、三号証同第八号証の一ないし一一、証人内俊男、同勘田新次、同漆田喜美子、同西田勲(第一、二回)、同中村五暁、同門前一也の各証言、申請人本人山忠幸及び被申請人各本人の尋問の結果を綜合すれば次の事実が疏明される。

(一)、(1)、申請人山が粟津に転勤を命ぜられた昭和三八年六月頃粟津神経サナトリウム労働組合では組合結成当時の執行委員は現在執行委員長の大島重治を除いて全部が粟津の病院を退職し、同組合は弱体化して殆んど活動が行なわれていなかつた。

(2)、他方右同月頃には、箕面の組合役員は執行委員長勘田新次副委員長川岸喜久枝、執行委員内俊男申請人両名の陣容でその内勘田、川岸、内及び申請人山が中心となつて共同して組合を運営しており、申請人山は地区の労働組合と箕面の組合の上部団体たる総評医療協との連絡を担当していた。

(3)、組合が被申請人や箕面の病院側と団体交渉をする場合には医療協に連絡し殆んど医療協が主体となつて交渉し、箕面の組合の執行委員は団体交渉の席上でも余り発言しなかつた。

(4)、申請人山、申請外川岸の粟津転勤問題についての組合、病院側間の団体交渉において、山は看護長心得三ケ月後には看護長にし、川岸は看護長心得とし山本婦長の後任者とする、賃金は粟津に転勤しても額において減らないよう地域手当の分だけ上げる旨病院側から回答された。しかし粟津の病院の看護婦長山本ふみは昭和三九年春停年で退職する予定であつて川岸を山本の後任とする計画とすれば約一年間も前にその後任に予定して発令していることになり、川岸は粟津の病院に五年間勤務したことがあり粟津の病院については精通し看護婦としても八年の経験を有していて看護婦補助者の指導という新らたな仕事が加わるとしても特段の事情のない限り、通常は約一年もの準備期間は不必要と考えられる。

(二)、申請人漆田が粟津に転勤を命ぜられた昭和四〇年三月頃粟津の組合が活動していなかつたことは同三八年の申請人山の転勤命令当時と変らないが、箕面の組合も右山、川岸の転勤命令、解雇の意思表示以後当時一一名いた組合員が退職して四名に減り組合活動は停止状態で同三九年春以後病院側に対する団交申入もなされていない状態である。

との各事実が疏明される。

以上の認定事実を綜合すると、被申請人が予てから箕面の病院における組合活動を嫌悪していたものと認められ、組合結成当時の執行委員長であり、その後も執行委員として組合活動をしていた申請人山に対し心中不快の念を懐いていたことはこれを推認するに難くない。殊に申請人山は対する本件転勤命令が組合活動家であつた川岸喜久枝の転勤と同時になされていることや右発令当時における組合の状況等を併せ考えると、他に特段の主張立証のない限り、同人に対する転勤命令はその組合活動を嫌悪し、同人を箕面から引離すことによつてその組合活動を不能ないし困難にすると共に箕面の組合についてはその組織破壊の効果を狙つたものと認定するを相当とする。

しかしながら、申請人漆田に対する転勤命令について考えると、同人は執行委員の地位にはあつたけれども、別段これといつた活動をしたわけでもなく、殊に前段説示のとおり、同人に対する転勤命令発令当時、箕面の組合としては組合活動が殆んど行われていなかつたのであつて、右の時点では、最早被申請人が殊更申請人漆田を組合活動のため排除しようとか、或は組合を弱体化させようとする必要もなかつたものとみるのが相当である。してみれば申請人漆田については、申請人山の場合とは異り、この程度の立証では、被申請人の不当労働行為意思を認定するには疏明が足りないと言わなければならない。

第三、被申請人の主張する転勤事由の存否について

被申請人本人尋問の結果により真正に成立したと認める乙第四号証、同第九号証、証人西田勲(一、二回)、同中村五暁、同門前一也、同内俊男、同勘田新次の各証言、申請人両名及び被申請人に対する各本人尋問の結果を綜合すれば次の事実が疏明される。

(一)、粟津の病院も箕面の病院も共に被申請人が開設し経営する病院であつて、被申請人が粟津の病院の院長を兼ねているところから箕面の病院の経理、人事等はすべて粟津においてなされており、粟津の病院と有機的に一体として運営されており昭和三八年始め頃までは施設設備、人事面においてもすべて粟津に頼つて補充、拡充されて来たが、同年四月頃になると一応設備も整い漸く安定してきた。

(二)、ところが、粟津の病院では、比較的勤続年数の長かつた矢地看護人が同三七年一二月、最古参の富永看護人が同三八年四月末相次いで退職し看護人数は四名に減少し、内一名は当時休職中で同三八年六月二〇日に退職したので残り三名は経験一年以内の人許りになつたゝめこれらの看護人を指導する人が必要になつた。

そこで箕面の病院から右の人材を求めることゝしたが、箕面の病院の看護人主任をしている申請人山は看護人としての経験六年で右の条件に適合している。

他方箕面の病院には経験年数四年、高校卒業で申請人山と同年令の門前一也、門前より一年遅れて採用されているが三一歳の勘田新次が残つており申請人山が欠けても病院の業務には支障が生じない。

併しながら、業務上の必要を理由とする申請人山の如き転勤は厳密な意味では従来その例がなかつたといえる。すなわち、申請人に対する粟津転勤命令以前に箕面の病院から粟津の病院に転勤した者には大丸谷和夫、小町知恵、蔵腰登志子、広瀬冨美子、古矢美代子、島津恵子等がいるが、大丸谷は箕面の病院の事務主任で箕面の病院がいわば創設当初の哺乳期にあつたため殆んど粟津と箕面を往き来していた者であり箕面の病院の経営が安定期に入つた場合の人事異動と同視できないものであるし、蔵腰、広瀬、古矢、島津に付いては、有資格者と無資格者との均衡をとるためとはいうものゝ、結局は同人等を看護学校に入学さすために粟津に戻したものであつてやや事情を異にするので業務上の必要による異動は申請人山、申請外川岸、同浦田某の場合が最初である。

(三)、被申請人は従来より中学卒業者を看護婦補助者として採用し看護学院に通学させながら養成して看護婦の補充、その増員に充てゝきたが、この看護婦補助者の指導は粟津の病院で看護婦長ならびにそれに次ぐ経験豊かな古参の看護婦が担当して来たところ、粟津の病院では婦長の内藤泰子が昭和四〇年六月末で出産のため退職を申し出、また婦長代理格で経験年数約七年という北村マリ子が同年三月二〇日に結婚のため退職したので昭和四〇年四月頃には看護婦補助者を指導する能力ある看護婦がいなくなつた。他方箕面の病院には多数の有資格看護婦が居り且つ北村に次いで経験が深く経験六年の申請人漆田と同じく経験六年の申請外松岡とし子が居たので箕面での勤務が長く箕面の看護婦主任である申請人漆田を粟津の婦長心得として転勤させ前記の看護婦補助者の実習指導や他の看護婦の指導に当たらせることゝし、松岡とし子は箕面の病院の看護婦主任に充てることゝした。

右漆田の転勤命令と同時に河上看護人にも転勤命令が出されたが、同人は右転勤命令に従つて粟津に赴任した。

との各事実が疏明される。

以上の認定事実に従えば粟津の病院と箕面の病院とは一体として運営されていること、申請人山について言えば、箕面の病院の経営が一応安定期を迎え従業員も一人前に育つた時期に粟津の病院が手薄になつたゝめ箕面で最古参の申請人山を粟津の病院の看護長心得として転勤させ粟津の看護人の指導に当たらせるというそのこと自体は両病院の人員配置の均衡という観点からみれば当を得た策とみてよいであろう。

又申請人漆田について言えば内藤、北村の退職のあと粟津に看護婦、看護婦補助者を指導する者がいなくなつたため、箕面の看護婦主任の申請人漆田を粟津に異動させ粟津の看護婦、看護婦補助者を指導させようとする業務上の必要が存したものと認められる。

思うに、労働組合法第七条の不当労働行為が成立するためには、労働者が労働組合を結成しようとし若しくは労働組合の正当な行為をしたことその他同条第一号前段所定の行為をしたことの故をもつてその労働者に対して不利益な取扱をすること、換言すれば両者の間に因果関係が存すれば足りると解すべく、本件について言えば、申請人山に前認定の如き組合活動無かりせば、あの時期において転勤を命ぜられる如きことがなかつたであろうと認められれば足り、それのみを唯一の原因ないし理由とすることは必要でない。むしろ通常これに随伴して副次的に他の理由ないし原因の存することが多いであろうが、仮りにそのような事情があつたとしても、不当労働行為認定の妨げとなるものではない。換言すれば、申請人山に対する本件転勤命令は同人の組合活動を嫌悪する被申請人が申請人山を箕面から切離すことによつて、その組合活動を不能ないし困難ならしめると共に箕面の組合についてはその組織破壊の効果を狙つてなしたものと認定するを相当とすること前叙説示のとおりであつて、当時粟津の病院では経験の古い看護人が退職し、比較的経験の浅い者ばかりとなつていたので、これを補充ないし増強する意味で看護人としての経験六年を有する申請人山を転勤させてこれに充てればその目的にも適うではないかという理由ないし原因が副次的に随伴していたとしても、不当労働行為認定の支障とはならない。

しかしながら、申請人漆田に対する転勤命令に関し、被申請人の不当労働行為意思を認定するについて未だ疏明の足りないことは前叙説示のとおりであるのみならず、却つて経験年数六年を有し、箕面の看護婦主任たる地位にある申請人漆田を粟津に迎え看護婦、看護婦補助者の指導に当らせる業務上の必要の存したものと認むべきこと前認定のとおりであるから、彼此綜合すれば、同人に対する本件転勤命令は申請人山の場合とは異り、主として右業務上の必要に基いて為されたものと認めるを相当とする。

第四、申請人山に対する本件転勤命令が労働組合法第七条第一号の不当労働行為とすれば、被申請人が粟津に赴任するよう指示しても、申請人山としてはこれに従う義務がないわけであるから、右業務命令違反を理由に被申請人のなした懲戒解雇の意思表示はその効力を生ずるに由がない。

次に被申請人漆田に対する本件転勤命令が業務上の必要に基く有効なものとすれば、同人が仮令被申請人に対する不信感が強く、粟津に赴任後解雇されるのでないかとの危惧の念を有していたとしても、被申請人としては判然とこれを否定していた(申請人漆田に対する本人訊問の結果)のであるから、右の段階で赴任を拒否することは故なく就業規則第五七条第九号「業務命令に不当に反抗し又は正当な理由なく拒否した時」に該当し、企業秩序維持の見地から懲戒解雇の処分に付されても、已むを得ないものと解せられる。

申請人等は本件転勤命令は申請人等の同意がないから無効であると主張するので、判断するに箕面、粟津の両病院は共に被申請人の経営に係る企業体ではあるが、独立の法人格を有するものではなく申請人漆田の労働関係は同人と被申請人との雇傭契約に基き、箕面の病院勤務の点はその就労場所、換言すれば、雇傭契約の履行場所に過ぎない。もつとも雇傭契約はその給付すべき労務が労働者の人格と切り離せない特殊な関係を有するところから、どこで勤務するかということは別段の合意のない限り、契約の要素を為すものと解するのが相当であるが、本件においては成立に争ない甲第一号証に徴し、業務上の都合上正当な必要がある場合には原則として転勤に応ずる旨の潜在的な合意があつたものと認めるを相当とするから、右主張は理由がない。

次に被申請人の本件懲戒解雇は重きに過ぎ権利の濫用である旨の主張も、前記のとおり本件転勤命令が業務上の必要に基く正当なものと解する限り、申請人漆田にこれを拒否すべき正当事由の存することにつき疏明のない本件では採用しがたい。

第五、申請人は被申請人は就業規則制定にあたつて組合の意見を充分聴かなかつたものであるから右就業規則制定以前から勤務している申請人等は拘束されない旨主張するが、労働基準法第九〇条第一項はこれに違反する使用者は手続違反として労働基準法上の制裁を課せられるという取締規定にすぎず就業規則の効力自体には何らの影響がないものと解すべきものである。

よつて申請人の右主張も採用しがたい。

右の次第で申請人山は被申請人経営に係る箕面神経サナトリウムの従業員たる地位を有し毎月末限り一日平均六〇八円の賃金請求権(解雇当時同人の労基法上の平均賃金は弁論の全趣旨から被申請人主張のとおり一日六〇八円の割合と認める)を有するところ、右箕面神経サナトリウムという勤務場所は申請人山の雇傭契約上の地位を特定する上で法律上意義があるわけである。ところで被申請人は昭和三八年六月一一日解雇の意思表示を為して以来申請人山を従業員として取扱わず、その賃金の支払を為していないことは当事者間に争ない。よつて申請人山につき仮りに箕面神経サナトリウムの従業員たる地位を定め、かつ金員の支払を求める部分については、以上認定事実のすべてを綜合して、前記平均賃金の百分の六十に相当する一ケ月一〇、九五〇円(一日三六五円)の割合による金員の支払を求める限度で正当として認容し、その余を必要なきものとして棄却する。

申請人漆田の申請は被保全権利の疏明を欠くものとして棄却する。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条第九三条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎福二 田中貞和 北谷健一)

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